アメリカでは、裁判員制度は大切な制度だと思う。それは、司法機関の公権力による不当な判断を言い渡さないように一つの防止し方だ。例えば、刑事事件の場合には、被告の皆は、相違ない有罪を証するまで無罪の可能があるという制度があるから、裁判官は独裁的な判決を下さないように裁判員も判決する機会があって、至当な真理を守ることにする。
死刑の真理の場合に、被告の生命を左右する裁判官が一人で決めたら心理的な負担が重過ぎるかもしれない。裁判員も決めるから、そのような負担は少し小さくする。しかし、裁判員制度は弱点があるかもしれない。
時間がかかるし、生命を左右することも難しいから、裁判員に参加したくない人が多いだろう。それで、一般の人々は偏見もあって、判決している時に差別ざるを得ないかもしれない。が、裁判員として偏見をこめて被告を判決することは違法で、良識を使って決めなくてはいけないから、偏見を持っても、至当な真理を守らなくてはいけない。だから、弱点があっても、裁判員制度は必要だと思う。
私も裁判員制度は、大切だと思います。公権力による独裁的な判断だけでなく、裁判員と言う一般の人の意見も、判決を決める時に取り入れる制度によって、より公平な判断と言うものが出来るのではないかと私も思います。
ReplyDeleteなおみさんのとても深い考えに賛成します。 裁判員制度はなければないものだと思います。 英語では"judgement by peers"と言って大切な人生を左右する問題は職業裁判官だけが決断することではないという意味です。
ReplyDeleteちょっと深い話題になってしまいましたね。(笑)
ReplyDeleteなおみさんが書いてくれたものを読んでから、制度が必要かどうかはともかく、至当な真理を探すべきではあるまいかと私は思います。たとえ今私達が認めている真理というのは少し間違っているなら、何百万の「罪人」がいかにも治せない悲劇ではないでしょうか。
ですから、私は人類いままでの道が修正しつつあるものだと思っています。裁判員制度こそは法律が欠けている個人的な意見や感情を込められるところですから、問題が現れても、その弱点が進歩できる方向を指しているかもしれません。