ジェシカ、ダニエル、とオリ
後進国にある浄水の不足
進国と後進国には大きくて深い差異が色々ある。先進国は産業の発達のおかげで、生活水準が高い国のことだが、後進国は産業の発達が遅く、生活水準が低い国を指す。先進国も後進国も社会的な問題があるかもしれないが、この論文は後進国を中心して、一つの問題を研究したいと思う。それは足りないきれいな水ということだ。多くの後進国では安全な水、浄水、つまり飲んでもいい水が不足しているという問題だ。水は有限な自然資源であるとともに、健康と生命の基本的な資源である。それで、浄水が足らないということは共同保健には重大な問題だと言える。
2000年に、国際保健組織 (World
Health
Organization)が調査した結果によると、世界の60億の人口で少なくも11億の人々が浄水の不足のせいで困難を強いられているようだ。 健康と生命に必要な資源が不足しているということは先進国のわれわれが聞くと、信じられないかもしれないが、そのような差異は実際存在している問題だ。 ということで、UNはミレニウム開発目的 (Millennium
Development Goal-MDG)を「2000年 UN Millennium
Summit」で紹介して、浄水の不足を2015年までに半分にすることに決めた。その決断は世界の189の大統領や国家元首が集まって決め、集まったみんなはどんなに問題が深刻を認識したわけだ。 国際的な認識があっても、浄水の不足について知っている人は少ないから、この問題を研究することにした。そのような問題意識を持っている人々が多くなれば、貧困の人たちだけの問題ではなく、世界の問題になるだろう。日本語を通じて、特に先進国において、思想と行動を変える必要があるというメッセージを伝えたいと思っている。 苦んで住んでいる貧困の有様をビジュアルと正しい説明によって見せたいと思っている。
浄水の問題は人間にとって基本的な権利だと言える。 飲める水がなければ様々な病気で亡くなる人々が増えて、大変な問題になる。 こんな病気は先進国では簡単に解決できるから、後進国の問題をなくすようにすることは可能性があるのではないだろうか。 MDGの宣言によると、浄水のためには貧困に耐えている人口の教育が含まれているし、それに先進
国の力によって浄水の使用の可能性を増やし、
そして最後には後進国の人々自身が、浄水を受けたり管理したりするノウ・ハウを伝えることだ。
水を得る権利が不可欠に違いないということも説明した。では、水がわれわれの生活に絶対必要だという倫理観を持っていたら、水を無料にすべきだろうか?ほとんどすべての人々はそのような至当観があるのに、それは適当な解決ではない。 国際連合の規則を見ると、水を無料にすることではないけれど、アクセスむしろ可能はなければならないと言われている。しかし、浄水は基本的な権利だという意見から見れば、社会的で文化的な資源になるかもしれない。要するに、経済的な商品になる。それで、水を有料化する現象を避けることができない。それでも、水の支払いは手ごろな値段で、人々の位に関わらず、容易に買えなければならない。というのは、国際連合の政策によると、どこに行っても皆は水に対して経済的な資力を持つべきだ。特に、汚染が酷く水道水飲料に適さない後進国の用水価格をもっと確かめねばならない。 所要水量をどのように考えたらいいだろうか?国際連合の規則によると、足りている水を取り出せないようだ。むしろ、水の量は生き物が生きていくために十分にならなくてはいけないと言われている。殊に、家庭用の使用に充分ではなければならない。WHO(世界保健機構)のガイドラインを調べたら、要水量は指摘されている。それを読むと、飲み水は温帯性気候で最小限一日2リットルが必要であることが明らかにされている。そして後進国の暑い気候となると、賃金を得るためにする肉体労働が普通のことになったので、飲料水の最低限度は4.5リットルと書いてある。それにしても、国際の合意がなくて、所要水量の全員のコンセンサスはまだ得られないと言える。そのコンセンサスが得にくいのはそれぞれの国々の健康や気候などといった決定的な要素がそれなりに違っているからだ。
水を得る権利がわれわれの社会や世界に適用するのは本当に困難だと思う。その権利はそんなに基本的な権利だと考えられているのに、いくら水不足の問題を解決したくても、そのためには多くの障害を克服しなければならない。国際連合によると、世界の国々は水を得る権利を尊敬せざるを得ないようだ。しかし、その点はある政府の利害に相反するようだ。例えば、政府はある池から飲んでもいい水を人々に与えたくない場合がある。政府にしてみれば、会社や企業に水の使用を独占させるほうがいいからだ。なぜかというと、多くの会社は水の産業を支配したがるので、会社のロビイストは政府に働きかけて水の所有を独占しようとするからだ。すなわち、政治的な葛藤は浄水を得ることを難しくてしまう。
上記のことから、世界中で十分な水を供給することは困難な問題だと思われるが、解決方法があるだろうか。国際連合の人間開発の宣言によると、水は非常に限られた自然資源ではあるものの、浄水が足りない原因は過剰人口や渇水ではなく、むしろ管理が不十分であることのようだ。その意見には賛否両論があると思う。水が減少していることは明らかだが、管理の不十分さも大変な問題だ。シバ・バンダナというインド人の科学者は、「水がない世界」というドキュメンタリーで水の商品化のせいで、企業が水の所有を独占して、貧困地域にいる人々には買えないほど水が高価になっていると述べた。例えば、インドにあるコカコーラの工場は農民が十分に米作に水を使えないほどに水を使っている。それで、マニラとガーナに住んでいる人々にとってはロンドンに住んでいる人より水がお高価になっている。アフリカの場合は、川は17もあって、池は160もあるけれど、再生可能資源の水は4%しか使えず、まだ300万のアフリカ人は十分な水を得られていない。
一方では、企業の財産として水は浄水になって、責任を持って管理されているが、高すぎる。もう一方では、政治により管理される場合は、もう少し国民に水が行き渡るが、政治家は責任を持って自然資源を管理できないかもしれない。残念ながら、政治的な解決はむしろ難しいかもしれない。世界中の全ての人に水を与えるために、色々な解決方法が必要だと思う。しかし、先進国にいる私たちは、何かができるのではないだろうか。アメリカでも日本でも、毎日一人当たり水を350リットルも使うけれど、サブサハラアフリカでは、10~20リットルしか使わない。皆が消費量に気をつけたり、水を節約しようとしたら、個人としても少しずつ事態を変えられると思う。