アメリカでは、裁判員制度は大切な制度だと思う。それは、司法機関の公権力による不当な判断を言い渡さないように一つの防止し方だ。例えば、刑事事件の場合には、被告の皆は、相違ない有罪を証するまで無罪の可能があるという制度があるから、裁判官は独裁的な判決を下さないように裁判員も判決する機会があって、至当な真理を守ることにする。
死刑の真理の場合に、被告の生命を左右する裁判官が一人で決めたら心理的な負担が重過ぎるかもしれない。裁判員も決めるから、そのような負担は少し小さくする。しかし、裁判員制度は弱点があるかもしれない。
時間がかかるし、生命を左右することも難しいから、裁判員に参加したくない人が多いだろう。それで、一般の人々は偏見もあって、判決している時に差別ざるを得ないかもしれない。が、裁判員として偏見をこめて被告を判決することは違法で、良識を使って決めなくてはいけないから、偏見を持っても、至当な真理を守らなくてはいけない。だから、弱点があっても、裁判員制度は必要だと思う。
Tuesday, March 20, 2012
Friday, March 9, 2012
しゃかかプロジェクトー「先進国と後進国にある浄水」
先進国と後進国には大きくて深い差異がある。産業のおかげで、たいていの先進国は生活水準が発達した国のことで、後進国は産業の発達が遅く、生活水準が低
い国を指す。この論文の目的は先進国と後進国の生活差異の中で最も早急な問題を調べることだ。それは多くの後進国では安全な水、浄水、つまり飲んでもいい
水の不足だ。水は有限な自然資源であるとともに、健康と生命の基本的な資源である。それで、足らない浄水は共同保健には重大な問題だと言える。
2000年に、国際保健組織 (World Health
Organization)が調査した結果によると、世界の60億 (6billion)の人口で少なくも11億 (1.1bn)の人々が浄水の不足のせ
いで困難している。 健康と生命に必要な資源が不足しているということは先進国のわれわれが聞くと、信じられないかもしらないが、そのような差異は実際存
在している問題だ。 ということで、UNはミレニウム開発目的 (Millenium Development Goal-MDG)を「2000年 UN Millenium Summit」で紹介して、浄水の不足さを2015年までに半分にすることを決心した。 その決断は世界の189の大統領や国家元首が集まって決め、集まったみんなは問題の酷さと早急さを認識したわけだ。 国
際的な認識があっても、知っている人は少ないから、知らせたらいいと私たちは考えて、この問題を研究しようとしている。そのような問題意識を持っている
人々が多くなると、貧困を我慢している人口の問題ではなくて、世界の問題になるだろう。日本語が分かる人に世界は特に先進国において、思想と行動を変える
必要があるというメッセージを伝えたいと思っている。 苦んで住んでいる貧困をビジュアルと正しい説明によって見せたいと思っている。
浄水の存在は人間によって基本的な権利だと言える。 飲める水がなければ様々な病気で亡くなる人々が増えて、大変な問題になる。 こんな病気は先進国では簡単に治療できるから、後
進国の問題をなくなるようにすることは可能性があるのではないだろうか。 MDGの宣言によると浄水のためには貧困を我慢している人口の教育が含まれてい
るし、それに先進 国の力によっ浄水の使用の可能性を増やし、 そして最後には後進国の人々に自身の浄水を受け持つノウ・ハウを伝えることだ。
水を得る権利が不可欠に違いないということも説明した。では、水がわれわれの生活に絶対必要という倫理観を持っていたら、水を無料にすべきだろうか?ほと
んどすべての人々はそのような正義感があるのに、それは適当な解決ではない。国際連合の規則を見ると、水を無料にすることではなく、かえってアクセス可能
で、安全に生きていることに足りなければならないと言われている。しかし、水を得る権利という概念を受容したら、水は社会的で文化的な商品になることが認
められている。要するに、経済的な商品になる。それで、水を有料化する現象を避けることができない。でも、水の支払いは手ごろな値段で、人々の位に関わら
ず、容易に買えなければならない。というのは、国際連合の政策によると、どこに行っても皆には水に対して経済的な資力を持つべきだ特に、汚染が酷く水道水
飲料に適さない後進国の用水価格を
もっと確かめねばならない。 所要水量をどのように考えたらいいだろうか?国際連合の規則が説明するように、水の必要な量は載せない。むしろ、水の量は生
きていることに十分にならなくてはいけないと言われている。殊に、家庭用の使用に充分だ。WHO(世界保健機構)のガイドラインを調べたら、要水量は指摘
される。それを読むと、飲み水は温帯性気候で最小限一日2リットルが必要であることが明らかにされている。そして後進国の暑い気候となると、賃金を得るた
めにする肉体労働が普通のことになったので、飲料水の最低限度は4.5リットルと書いてある。それにしても、国際の合意がなくて、所要水量の全員のコンセ
ンサスまだ得られないと言える。そのコンセンサスを得にくいのはそれぞれの国々の健康や気候などといった決定的な要素がそれなりに違っているからだ。水を得る権利がわれわれの社会や世界に適用するのは本当に困難だと思う。その権利はそんなに基本的な権利だと考えられているのに、いくら水不足の問題を解 決したくても、多くの障害を克服しなければならない。国際連合によると、世界の国々は水を得る権利を尊敬せざるを得ない。し かし、その点はある政府の利害に相反するようだ。例えば、政府はある池から飲んでもいい水を人々に与えたくない場合がある。その場合は、様々な国々では政 府にしてみれば、会社や企業を独占させるほうがいい。なぜかというと、多くの会社は水の産業を支配したがるので、会社のロビイストは政府にその産業を自分 にすることを説得しがちだからだ。すなわち、政治的な葛藤は浄水を得ることを避けてしまう。
どのように水の不足を解決するか?一般的に、一番大切な問題は意識だと私たちは考えている。皆に水の重要性を伝えたら、世界の社会と機構はきれいな水を得 ることの成功へ意欲がもっと強くなるかもしれない。私たちは世界の政府を水の不足に関していっそう考えさせれば、もっとその早急の問題をまじめに処置する可能性がある。生活条件を人間的なものにすることはほかのことよりも、緊急を要する。それで、人間の生命が破壊されることを防ぐために、なるべく皆に水を与えようとすればいいと思う。
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